お知らせ

新着情報はHPのほうでお知らせしていきます。こちらと併せてお読みいただけたら幸いです。何卒よろしくお願いします。
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# by neko-tree | 2016-11-22 00:15 | Comments(0)

庄野先生とラム

庄野(潤三)先生とチャールズ・ラムの、誕生日が一日ちがい(2月9日と10日)というのは、運命的でもあり感動的でもある。庄野さんをとおして、ラムの本も何冊かもっているけれど、ラムそのものよりも、庄野さんの文章のなかに出てくるラムが好きで、それはある映画の本篇よりも、淀川長治さんや水野晴郎さんの解説のほうが好き、というのに似ているかも。ハタチ前後のころに熱心に読みふけった庄野さんの著作、いまでは当時のように毎日のようにひもとくということはないけれど、ときどき引っぱりだして読むと「家に帰ってきた」といった気持になる。おもえばずいぶん遠くまで来たけれど、どんなに遠くまでいったって平気、というくらい、しっかりと「家」でいてくれる。
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# by neko-tree | 2016-02-10 00:16 | Comments(0)

カサヴェテス長いっす

二月三日。
○オースターの小説が好きで以前はけっこう熱心に新作を追いかけていたのだけど(『The Brooklyn Follies』なんて待ちきれず原書で読んじゃったもんね)、詩を読んだり書いたりするのがメインになって体質が変わってしまったのか、長くて長くて、もっと縮められないものか、などと思ってしまう。これはオースターが悪いんじゃなくて、小説を読む体質ではなくなってしまった私が悪いのだとおもう。でももともとかれは詩から出発したのだから、もいちどぎゅっと凝縮させた詩も読んでみたいと思う。●カサヴェテスの映画も同様で、おもしろいのだけど、いささか長いと思ってしまう。みんな140分くらいなのだもの。90分前後に縮められないものか。私がせかせかしすぎなのかもしれないけど。
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# by neko-tree | 2015-03-03 09:16 | Comments(0)

ジョイス座礁

二月二日。
○ジョイスの『フィネンガンズ・ウェイク』7,8年前に1巻の途中まで読んで、そのまま座礁している。同じ頃プルーストの『失われた時を求めて』は5巻の途中まで読んだのだけど、こちらも座礁。いつか、読み切ることができるのだろうか。速読とか身につけたら、あんなのも数時間で読めるのかな?
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# by neko-tree | 2015-03-03 09:08 | Comments(0)

キートンキートン

二月一日。
こないだ慶応大で開かれたアンバルワリア祭、西脇順三郎と萩原朔太郎のイベントを拝聴したときに、朔太郎が●バスター・キートンに似ているという話を聞いて、言われてみれば。昔のジョニー・デップがキートンにオマージュを捧げた映画(『妹の恋人』)もなかなか似ていて、素敵でしたね。
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# by neko-tree | 2015-03-03 08:57 | Comments(0)

仁義なき俳句

一月三十一日。
こないだ詩客のウェブサイトの俳句評に俳優の○成田三樹夫さんの俳句について書いたのだけど、かれの俳句、かっこいいんですよね。「目が醒めて居どころがない」とか、読むたびに「仁義なき戦い」のテーマ曲が頭の中で流れだしちゃう。
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# by neko-tree | 2015-03-03 08:45 | Comments(0)

歴史的ロマンス

一月三十日。
ひさしぶりに○ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』とか『西瓜糖の日々』とか読みかえしている。私の新しい詩集(『MU』)に、高校生のころ愛読していた『愛のゆくえ』を登場させてみたのだけど、あの小説、その邦題は無いだろって当時からいまにいたるまでずっと不満で、直訳して『堕胎-歴史的ロマンス1966』とかでいいじゃん、とか思うのだけど。だめなのかな。
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# by neko-tree | 2015-03-03 07:42 | Comments(0)

ニューマンとレオナール

一月二十九日。
昨日のポロック、デ・クーニングからひきつづき画家ネタで、○バーネット・ニューマンについて。こないだ久しぶりに川村記念美にいってショックだったのは、ニューマンズ・ルームの「アンナの光」が売却されて無くなっていたことで、そうだとわかっていたら前回来たときこころゆくまで見ておくんだったな。ニューマンズ・ルームは「アンナの光」のために設計された部屋だったはずで、自然光がふんだんに入ってくるおおきな窓と、そこからのぞく樹木の緑と、「アンナの光」の赤が、すばらしいコントラストで、どれだけ見ていても、というか居ても、飽きることがない感じでした。このところ、何か所かで●藤田嗣治を見たけど、いま近代美にある藤田のいいやつなんかも、そのうちなくなっちゃうんじゃないかと心配になる。美術作品なんてのは(自分で所有しないかぎり)一期一会で、やはり見られるときにしっかり見ておかないとだめですね。
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# by neko-tree | 2015-02-17 19:48 | Comments(0)

デ・クーニングのモンロー

一月二十八日。
何年か前にイタコさんに○ジャクソン・ポロックを憑依させて、絵を描かせる、という美術作品があったけれど、あれ面白かったですね(太田祐司さん「ジャクソン・ポロック新作展」)。エド・ハリスが監督・主演したポロックの伝記映画『ポロック』はなかなかの秀作と思いますが、こないだブリジストン美でやってたデ・クーニングも出てきたりして(演じるのはヴァル・キルマー)。デ・クーニングの絵は土方巽のスクラップブックにも出てくるんですよね。デ・クーニングのモンローって、ウォーホルのモンローとは全く違ったベクトルで、こちらもものすごくクールだと思います。
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# by neko-tree | 2015-02-17 19:40 | Comments(0)

ところがマッコイ

一月二十六日。
こないだジャンゴ・ラインハルトのドキュメンタリーに出てきてあらためていいなと思ったジャズ・ヴァイオリニストの○ステファン・グラッペリ。オスカー・ピーターソンとのデュオ・アルバムを長年愛聴しているのだけど、マッコイ・タイナーとのデュオも出しているのを見つけて、こちらもなかなか良かった。コール・ポーター集も出しているんですね。これもなかなか(私の趣味からすると、いささか長尺すぎるけど)。なんか雑巾がけとか無性にしたくなる音楽だよね。
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# by neko-tree | 2015-02-05 06:08 | Comments(0)

森田的純朴人間

一月二十五日。
○森田芳光監督の『(ハル)』を今更ながら見たのだけど、この映画が描かれている当時、1995年頃って、もちろん私はすでにものごころが(じゅうぶんに)ついていたけれど、でもこんなだったっけ?……つまり、日本のひとびとはこんなに純朴だったっけ?と疑問に思ったのだけど、考えたら森田監督のいちばん新しい作品(にして遺作になってしまった)『僕達急行』にしても、現在の話だけれども、イマドキこんなひといないだろ!とつっこみたくなる、時代錯誤的純朴人間しか出てこないのだった。まあ、それが森田監督の映画のよいところですよね。
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# by neko-tree | 2015-02-05 05:55 | Comments(0)

もうひとつの海

一月二十四日。
●アンゲロプロス監督の未完の映画『もうひとつの海』については前に作品にも書いたのだけど、ときに、見た映画よりも見ていない映画のほうが、私たちのそうぞうをかきたてる。ましてや、もう永遠に完成することのない映画なのだ。
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# by neko-tree | 2015-02-05 05:51 | Comments(0)

画家ジャンゴ

一月二十三日。
○マネ、●ムンク、●ボナール、●ダリ…と、そうそうたる画家が生まれたり、(こちらのほうが多いのだけど)亡くなっている日である。画家ではないけど●ヨーゼフ・ボイスと●ヘルムート・ニュートンもこの日に亡くなっている。○ジャンゴ・ラインハルトのドキュメンタリーをこないだ見たのだけど、なんと!ジャンゴも一時期絵を描いていたのですって。彼の「スリー・フィンガーズ」が絵を描くときに影響するのかしないのかわからないけれど、絵のほうもなかなかのものなのである。
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# by neko-tree | 2015-01-26 22:01 | Comments(0)

どうせならあんな吸血鬼に。

一月二十二日。
『仁義なき戦い 広島死闘篇』で○千葉真一さんが演じた大友勝利と、『ダークナイト』で●ヒース・レジャーが演じたジョーカーと、どちらも最強/最凶/最狂のほまれ高い名悪役で、いつかこの二人を戦わせてみたいものである。そういえば○ジム・ジャームッシュ監督のヴァンパイア映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』はジャームッシュらしいヴァンパイア映画でとってもチャーミングだったけど、彼らに加わってもらってもよいかも。かたわらでヴァンパイア・ウィークエンドに演奏してもらって。
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# by neko-tree | 2015-01-26 21:36 | Comments(0)

フェリーニとリンチ

一月二十日。
○フェリーニの『道化師』見直す。○デヴィッド・リンチの初期短篇映画集みる。リンチが敬愛するフェリーニに彼の死の直前(前日かその前の日か)に会うことができた、というエピソードをたしか本のなかの文章で読んだはずなのだけど、それは映画のワンシーンのように映像として私に記憶されている。○放哉の句集と○西脇の詩集をぱらぱらと。○松井冬子さんのハマ美での個展図録に目をとおす。なんか前も書いたかつぶやいたかしたと思うけど、選べるならこの日を誕生日にしたいですね。
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# by neko-tree | 2015-01-25 22:46 | Comments(0)

ヘタンヌ

一月十九日。
○セザンヌの画集の文章のところをよむ(いろんな画家のいろんな画集をもってるけど文章のところはほとんどよんでいないのである)。セザンヌは若い頃ルーブルに通ってせっせとオールドマスターの模写をしていろいろ吸収して、サロンで入選したことはほとんどなかったけど、やがて自己のスタイルを確立して評価されるようになってからも過去の巨匠から学ぶことをやめなかった、というところがよかった。岡本太郎がセザンヌのヘタクソさを褒めていたけど、大切なのは技術よりも情熱をなくさないことですね。技術ももちろん大事だけど。○ユーミンがお誕生日で、あのひとも詞や曲はめっぽううまいけれど、歌はそこまでうまくないと思うけど、それが味になっている。○宇多田ヒカルみたいに歌がうまいユーミンなんていやだ。○Coccoは歌はうまいけれどメンタルが心配で、なんかずっと目が離せないでいる。彼女の主演した映画『KOTOKO』なんて、途中から本人なんじゃないかと思ってしまってほんとうに心配になってしまった。是枝監督が撮ったドキュメンタリー映画も見たけど、とてもよかった。MCなどでのCoccoの拙い語りが、それゆえにまっすぐ響いてくる。
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# by neko-tree | 2015-01-23 22:30 | Comments(0)

オルークドゥルーズフランシス

一月十八日。
○A.A.ミルンの『クマのプーさん』岩波からでてる石井桃子さん訳のアニバーサリーエディションというのを持っているのだけど横書きで、オールカラーで、挿絵がかわいくてよい本です。2011年版アニメ版プーさん見てみたのだけど、そんなにわるくなかった。セルアニメっていまは逆に新鮮ですね。で、ひさしぶりにオリジナル版も見なおしてみた。十数年ぶりに。いちばんさいごのところ、大人になるとなにもしないってことができなくなる、というせりふ、身につまされる(ほかにも身につまされるせりふが、ちょいちょい)。つまされながらも○ジム・オルークがプロデュースしたくるりの2ndやジム・オルーク自身のアルバムを聴きながら長らく中断していた○ジル・ドゥルーズがフランシス・ベーコンについて書いた本のつづきを読む。
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# by neko-tree | 2015-01-19 23:04 | Comments(0)

チェと牛

一月十七日。
○坂本龍一さんと大貫妙子さんのデュオアルバム『UTAU』の冒頭におさめられた「美貌の青空」。ずっと気になっていたのだけど、調べてみたらやはり土方巽の同名の自伝(的)小説と関係があるみたい。同名の、チェ・ゲバラを題材にした歌舞伎役者による朗読劇もあるらしい。土方巽とチェ・ゲバラと歌舞伎がどんなふうに繋がるのか、気になる。ところで遅ればせながら○篠原有司男さんと乃り子さんのドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』見て、これがめっぽうおもしろかった。最近見ておもしろいと思う映画はほとんどドキュメンタリーなのだけど、なんでだろう。ヤン・ヨンヒ監督の映画も『かぞくのくに』より、その前のドキュメンタリー2本のほうがよりおもしろいと思ったし、『バックコーラスの歌姫たち』も『シュガーマン』も(どちらもアカデミー賞のドキュメンタリー賞とってるやつ)すごくよかった。
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# by neko-tree | 2015-01-18 20:26 | Comments(0)

すべて自画像

一月十六日(その二)。
大学生のときに新宿の紀伊国屋で買った、講談社版の●アンドリュー・ワイエス画集が見つからない。Bunkamuraでの個展のときの図録は見つかったのだけど。あのときはまだご存命だった。生涯ほとんど描くことがなかった自画像の、貴重なテンペラ画が2点出品されていた。オルソン姉妹もヘルガも、荒涼とした風景の細部も(ついでにいうならそれを構成する線の一本一本までも)、すべて自画像のようなものだったのかもしれない。
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# by neko-tree | 2015-01-18 20:12 | Comments(0)

つやこかよしこか

一月十六日。
くるりのアルバム『さよならストレンジャー』(●佐久間正英さんプロデュース)を久しぶりに聴きなおしながら(何度聴いても「傘」の途中で音量がでかくなるところでびっくりする。「ハワイ・サーティーン」と「葡萄園」2曲のインストが好き)、高峰秀子著『私の梅原龍三郎』読む。●梅原龍三郎が高峰秀子に宛てた手紙から。「画廊で美しいルノワール四点見る。欲しいようなのは数千万円で手が出ず、欲しいようなものを自分で描くべく努力すべきであると思う」。なるほどね。龍三郎夫人の艶子さんの読み方がわからない。つやこかよしこか。
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# by neko-tree | 2015-01-16 22:09 | Comments(0)

廻転する夜と音楽

(前略)、海岸線を照らす街灯が植物の葉を飾りにしていく。舗道の上。 夜? 動かないで。きみと、石がつながってしまう。夜なの? 夜だよ。影だ。
--夏野雨さん「リトル・プレーヤー」(『福岡ポエトリー Vol.2』)より


音楽中毒なのじゃないかと思うくらい、時間のあるかぎり、常になにか音楽を聴いていないと気がすまない。「閉鎖された遊園地の前で、踊っているのです、わたしたち。」ではじまる夏野雨さんの「リトル・プレーヤー」という詩は作中にも出てくる観覧車の写真が詩の前の頁に載っていて、回転することで音楽が生じるけれど(最近はそうでもない。のが寂しい)、音楽を鳴らすことで止まっている観覧車がまた動きだすかもしれない。これを書いているいまは真夜中で、私はThe xx の二番目のほうのアルバムを聴いている。夜のオレンジの街灯や影の沁み込んだアスファルトみたいな音楽だな、と思う。音楽を聴きつづけている限り、大丈夫、石とはつながらないでいられる。そんな気がする。

昔のひとの詩も読みつつ、いま生きていま書かれている方たちの詩も日々読んでいます。いいな、と思うものに出会うことも多く、また、ここのブログでその中からすこしでもご紹介できたらとおもいました。前回ご紹介したのが夏野さんの作品だったので(なんと、もう二年近く前…!)、おなじ夏野さんの新作から、再開しようとおもいました。
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# by neko-tree | 2014-07-22 00:47 | Comments(0)

ブルックリンのとおい部屋

スコット・フィッツジェラルドの誕生日(九月二十四日)。
角川文庫から出ているフィッツジェラルド五冊(『華麗なるギャツビー』『ラスト・タイクーン』『夜はやさし(上・下)』『ベンジャミン・バトン』)は表紙にエドワード・ホッパーの絵がつかわれていて、それがなかなかに素敵なハーモニーを奏でていて、良い。『夜はやさし』の下巻に使われているのは「Room in Brooklyn」とあり、あまり見た記憶がない絵だけど、三階か四階か、あるいはもっと上かもしれない、高い階層の部屋の、窓辺におかれた椅子に腰かけて、すこしうつむき加減に、窓の下の通り(だろうか)を眺めている、女の人の後ろ姿が描かれている。おなじように部屋にたたずむ女性の後ろ姿を多く描いた、ヴィルヘルム・ハンマースホイの絵画をおもいだすけど、どちらが先だろうか。ホッパーの(そしてハンマースホイの)描くほかのどの人物にもたがわず、とても寂しそうで、とおい国とおい街とおい時間の、とおいひとの後ろ姿にもかかわらず、その寂しさがわかる、気がする。私たちはどうしてこんなに簡単に、寂しさでつながってしまうのか。
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# by neko-tree | 2013-09-24 22:04 | Comments(0)

ブロッコリーとブルーベリー

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菜の花を見ると、どうしてあんなに明るいのだろう、れいの「菜の花畑に入日薄れ」の「朧月夜」が流れてくるけれど、夜のあいだに菜の花は月の光を吸い込んで、それで昼のあいだあんなに発光しているのだろうか。

菜の花について調べたら、学名を「Tenderstem broccoli」というそうで、やわらかい茎のブロッコリーということかな、ブロッコリーの仲間なのだと言われるとなるほど納得だけれど、それにしても、あたまの「Tender」という英単語はむかしからのお気に入りで、こわれやすい、もろい、それでいて、あるいはそれゆえに、やさしい、あたたかい、という陰影と説得力のある言葉とおもう。

今日(4月8日)はアメリカの女性シンガーソングライター、ローラ・ニーロさんの命日で、彼女の代表アルバム『Newyork Tendaberry』はたぶん高校生のときに買ったのだけど、そのあまりにも陰鬱で、あまりにも繊細なせかいに、当時はついていけなかった。マイルズ・デイヴィスも絶賛したこのアルバムの良さが(マイルズでいうと『カインド・オブ・ブルー』にいちばん色彩が似ているとおもう)、時と年をかさねてやっとすこしずつわかりはじめてきた。

ところで辞書を引いてもでてこない"Tendaberry"というのはどうやら彼女の造語らしいのだけど、tender berryととらえていいのかな、脆くてやさしい果実のことだろうか、硬質な人たちとビル群の大都会のただなかでいまにも潰れそうに甘い芳香をはなつ、やさしい果実。
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# by neko-tree | 2013-04-08 22:27 | Comments(0)

輪廻バーコード

 古本を買ったのです
 インターネットで買ったのです。
 青い表紙の本でした。
 ひらくと麝香の香りがして
 前の持ち主の
 香水 とおもうのだけれど
 前の持ち主が
 鹿だった という説もすてがたく
 ほら、ジャコウジカっていうでしょう
 それが鹿なのか人間なのか
 判然としないまま
 読みすすめる物語は
 麝香の香りをおびており
 まちのなかをけもののように
 まるでちいさなけもののように
 足音もなく進んでゆくのです

 ――夏野雨さん「麝香」(「水玉通信 vol.5」)より


   *

古書店や、図書館のとりわけ地下書庫の、あの雨のにおい。それはなつかしい雨のにおいがして、それはあるいは鹿かもしれないし、猫だったかもしれないけれど、まだ私たちがヒトになるまえの記憶にしみこんでいて、本のなかを流れるのとはまたべつの層の、物語を私たちに呼び覚まそうとしている。気がする。映画だと『耳をすませば』とか『Love Letter』とか。おもいだすとき、図書館にまつわる物語には、いまはない(ほとんどない、)図書カードはどうしても必要で、また筆跡というのはもとより、そのひとの名前も、あまいにおいのするものだ。味気ない、いまのところ私には煩わしくおもえる、バーコードなどというものも、100年もすれば、それもまた物語を媒介する、魅惑的な暗号に見えてくるだろうか。涼しくなってきてすこし元気になってきたので、また日記を更新したり、みなさまからいただいた詩集や詩誌からご紹介したり、いただいたお便りの返信ができたらとおもっています。
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# by neko-tree | 2012-09-09 09:09 | Comments(0)

シケイダと夏のなんにもない

槇原敬之さんの1999年のアルバム『Cicada』は、夏に向けて発表された、夏をテーマにした楽曲が集められたコンセプチュアルなアルバム(真ん中へんに、流れをぶったぎるように、スキーをテーマにした真冬の曲「STRIP!」が入るのがちょっぴりざんねん!)だけど、このアルバムの発表後まもなく、例の事件が発覚して、だからきっとどん底のなかでこのアルバムをつくっていたんだな、とおもうと感慨深くて、これとつぎの復帰作『太陽』とそのつぎの『Home Sweet Home』あたりは、ひりひりとした痛みがあって、しかもそれをポップソングで表現しようという、とても難しいことをされていて、この3枚あたりが、彼の最高傑作なのじゃないかと個人的にはおもっていて、何百回と聴きこんだ。

『Cicada』のさいごに収められた表題曲「Cicada」(「蝉」のことですね)の冒頭部分、

  まっくらな土の中
  何年も過ごしながら
  まだ見ぬ太陽の光を
  蝉たちは信じてる
  辛さから逃げることで
  自分を騙しながら
  生きることが幸せなら
  僕らはいないはずだと


   *

蝉といえばアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)の「夏蝉」も、個人的にアジカンの中で1,2を争う大好きな曲で、この曲のすごいのは「夏蝉」と「Nothing」をかけているところ。蝉の鳴き声のように、夏蝉/Nothingと叫ぶように歌う、楽器をかき鳴らす、自分もそんな蝉でありたいとおもう。誰にも届かなくてもいい、とかうそぶきながら、誰かに届けたくて一生懸命にかき鳴らす。
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# by neko-tree | 2012-08-01 18:48 | Comments(0)

ぺんぺん草とびんぼう草

暗い畦を行き
掘り込まれた丘陵にのびる草の背が
ちりぢりと焦げてゆく土のうえ
「ちいさなうさぎだったんです」

茶色い毛並みがうつくしくて なまえをよんだ 野生 だったのだと思います ふりむいて すこし距離をおいて こちらを見ました 黒い目でした 何か言って欲しかったけど あんまりさわぐと消えそうで その、草をさしだしました ぺんぺん草でした だってハートだったから…、心臓をみてほしかったんです いまおもえばばかなことをしたものです ぺんぺん、べんべん、ばちあたりです せめてあれが繁縷(はこべ)だったら やわらかな髑髏みたいに いまごろ組み合わさっていられたのかもしれません

ふたつの穴から臍の緒がでてくる なずな、薺(なずな)、ぺんぺん、なずな

三味線を弾く音がする
住宅地をあるき
細く伸びた路地を縫う
靴音は追いつかない
うさぎ
てんてんと ちいさな足で
駆けていった
氷がとけて水滴が
てんてんと
すけてゆく心臓
(夏野雨さん「みどりのゆき」より抜粋(「水玉通信 vol.4」より)


  *

びんぼう草と呼ばれているけれど、ほんとの名前はハルジオンとヒメジョオンで、漢字で書くと春紫苑と姫女苑だから、むらさきがかっているほうがハルジオンと覚えていて(それで、あっているんだろうか?)、ほんとのほんとは、一輪いちりんべつの名前をもっているのだとおもう。花やさんで売られているような花もすきだけど、そのへんの野原とかに群生している雑草によりひかれるのは、わたしも雑草なのだおもう。
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# by neko-tree | 2012-05-16 19:52 | Comments(0)

猫とパラレル

 夕焼けに飛行ねこが飛んでゆく
 夕焼けに飛行ねこはあうのだそうだ
 赤く熟れたトマトとクリームチーズくらいに
 飛行ねこは大きな群れをつくり
 それはまるでひとつの地平線を形成しているようにみえる
 全体はゆっくりと西の方向へ動いている
 群れ、また群れ
 大空を一面に覆ってしまう程の
 一匹一匹が空中で四肢を動かす様子は
 まるでそこに巨大な空中回廊でも存在しているかのよう
 まるで永遠のそれは
 (宮岡絵美さん「平行世界、飛行ねこの沈黙」冒頭部分(詩集『鳥の意思、それは静かに』(港の人)


  *

たましいが九つもあって、あっちとこっちを行ったり来たりしているという、猫には夕暮れがよく似合うし、じっさい猫にあうのは夕暮れがおおい気がする。たそがれ(この猫はだれ?)。ユリイカの新人作品欄で活躍されている、宮岡絵美さんの「夕暮」という詩を以前このブログでとりあげたけれど、その「夕暮」からはじまる、彼女の第一詩集『鳥の意思、それは静かに』を拝読して、夕暮を描いた詩がいくつもあることに気づく(それから、たましいをはこぶといわれる、表題にもでてくる、「鳥」のでてくる詩)。夕暮は、生と死とが交錯する場所と時間で、いつしかその一部分になりながら、ものおもいに耽っていた昔をおもいだす。そのなかで、かつて、たしかにわたしもまた「飛行ねこ」を見ていた、ような気がする。ところでさっきから「ひみつのそしきがきて はちじのニュースがたいへん」という歌があたまの中で流れている。相対性理論の「ミス・パラレルワールド」である。
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# by neko-tree | 2012-05-16 07:14 | Comments(1)

ドアノーエミリーアデルユゴー

 肌色の木枠 額縁の裏に
 夜があって ふくろうが啼いている
 金釦のような眼で
 古い森から辺りを見回している

 あの手紙を書いたときの
 青インクが霧となって満ちている空に
 まどろみかけた思い出のひとつひとつは
 散らばっていく
 (颯木あやこさん「写真」より抜粋(詩集『うす青い器は傾く』(思潮社)より


  *

ことし生誕100年をむかえた、20世紀を代表する写真家のひとりロベール・ドアノーが、擦過していく風景と時間とをたばねた「水の流れ」を、夜のあいだも流れつづけるその流れを、自分は止めたいなどとばかげたことをかんがえているのだ、というようなことを言っていたけれど、一枚の写真を静止した水として、それをささえる額縁の裏の森もまた、静止した夜の森だろうか。今月15日が命日の、エミリー・ディキンソンはずいぶん宛てのない手紙を書いたみたいだけれど、宛てのない手紙を書くことをちっともしなくなってしまったわたしはだめだなあ。トリュフォーの映画「アデルの恋の物語」はヴィクトル・ユゴーの娘アデルの実話をもとにした映画だったけど、アデルが手紙を書いているシーンがこれでもかというくらい連なる、あれは手紙映画だったとおもう、さすがユゴーの娘だったとおもう。
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# by neko-tree | 2012-05-14 20:52 | Comments(0)

カレーとジャスミン

 並んだ小窓の列の一つから
 こぼれるのは 生活の灯り
 ナイター中継開始の サイレン
 幼な子の泣き声 母親の歌声
 蛇口から流れる水の音
 まな板を打つ包丁のリズム音
 そしてカレーの あの優しい匂い……

 もう本当に何にも要らないから
 こうして時の流れを止めたまま
 生活の断片達のレトリックに 溺れていたい
 (伊達風人さん「カレーライス」より抜粋(詩集『風の詩音』(思潮社刊)


  *

夜になるとどこからかジャスミンの香りが漂ってきてでもそれがどこからなのかわからない。視界がせばまることでよりつよく感受できるものがある。夕暮れのまちを歩いていると、夕餉のにおいや練習曲を弾くつまずきつつの幼い歩行のようなピアノの音がきこえる。たどりついた、部屋からの夜景がとてもきれいで、もうまもなくこの部屋にも灯りがともる。このまちの「生活の灯り」のひとつになる。夕飯のしたくをする。
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# by neko-tree | 2012-05-14 20:35 | Comments(0)

篝火と御舟

いつでも海はつながって、わたしたちを巡っていた。管絃船の篝火に捕われ、わたしの蛾はぐるぐる回る。蛾のわたしは飛び込んで燃える。

火がおどり
かさなる闇やぶれ
火がおどり
暗い海がすべり
火がおどり
ふねが行き
火がおどり
ふね帰り
いきものの上のかがり火
大きく小さく
火がおどり
ゆれゆらぐがの
火がおどり
かがり火のまい
火がおどる
めまい
(広瀬弓さん「蛾の眩暈」より抜粋(「ゆんで」4号より))


  *

投稿欄のときにご一緒して、同級生のように感じている広瀬弓さんと、弓田弓子さんという方のお二人が出されている二人詩誌「ゆんで」を、とても簡素なつくりのミニマムさが素敵な詩誌で愛読しています。お二人の詩が二編ずつの計四編と、みじかいあとがきのみ。これくらいの分量だとかえってくりかえしよめてうれしい。四編どれもよかったのだけど、冒頭の広瀬弓さん「蛾の眩暈」は、エッセイのようでも掌編小説のようでもありながら、まぎれもなく詩であるとおもう、そのゆらぎもふくめて、心ひかれる。宮島の大鳥居にて毎年夏におこなわれる管絃祭(平清盛にもゆかりがあるらしい)について描かれた作品で、その祭りのさなか、あまたの観客やカメラマンのなかから「灰色のワンピースがしゃしゃり出て」、管絃船の脇でなにかを祈りはじめる。カメラマンが下がるようにうながすと、「し、つ、れ、い、な/うみでおおぜいがなくなっとるんよ」と金切り声をあげる。書き手の「わたし」は「自分勝手は女もカメラマンも同じだと思う一方、言葉は深い場所を突いた。」としるし、「足首に触れたやさしい瀬戸の海は金属の平らな路のように凍りつき、津波の海へと続いていた。」そして、冒頭に引用した部分につづくのだけど、そこで書き手で傍観者であったはずの「わたし」がとつぜん篝火に捕われた「蛾」に入れ替わって、驚く。それと同時に、散文的だったこの作品が行わけの詩にかわる。「篝火」「蛾」は、「かがり火」「が」と、ひらがなに開かれて、この行わけぶぶんの「が」の音のこれでもかというつらなりが、火と蛾との不穏で妖しくもうつくしい踊りをみごとな詩のリズムで体言しているとおもう(おしまいのほうの「まい」「めまい」の音のひびきあいも、いい)。速水御舟の絵なんかもおもいだしました。
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# by neko-tree | 2012-03-19 19:19 | Comments(0)