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新着情報!
「文學界」6月号に「マルクとベラの夢と花あるいはアポカリプスの午後」を寄稿しました。表紙をめくって目次をめくった最初のページにある扉の詩です。

・3月に吉祥寺Art Center Ongoingにて現代美術家・小田原のどかさんの展覧会の関連イベントとして行われた"GREEN ONION & GEORGE TEMPLE (Mar.11,2012-"のドキュメント版「小田原のどか meets カニエ・ナハ"GREEN ONION & GEORGE TEMPLE (Mar.11,2012-"」が『六本木詩人会』HP「六本木一本勝負」4月に寄稿しました。

・現代美術家・小田原のどかさんによる、私のweb作品のアーカイブ「feat.小田原のどか"カニエ・ナハをむりえわする"」を『六本木詩人会』HP「六本木一本勝負」3月に寄稿しました。

「ユリイカ」2月号に「エレファント」「無口な僕らは、お喋りな石ころの語る物語に耳をかたむける。」「森になる、言葉はただの葉っぱになる。」の詩三篇を寄稿しました。2010年クロコダイル朗読会、佐藤雄一さん主宰サイファー、トルタオーディオブックなどで朗読してきた作品たちです。

・装丁を手がけた、暁方ミセイさん第一詩集『ウイルスちゃん』(思潮社)が第17回中原中也賞を受賞されました。おめでとうございます!

「現代詩手帖」2月号「詩誌月評」欄にて、「六本木詩人会」HP「六本木一本勝負1月」に寄稿した作品「ASPARAGUS OUT OF SEASON」を紹介していただきました。

・PDF詩誌「骨おりダンスっ」第7号に、橘上、山田亮太とのユニット「This is a Pen!(TiP!)」の新作「TiP!vs JK」を寄稿、TiP!がJK(女子高生)と対決しました。はたして、私たちはジョシコーセーに勝ったのでしょうか、負けたのでしょうか…!

「詩客」HPにて「連詩プロジェクト:詩仙「秋思の巻」」に参加しています。捌手=堀田季何(以下敬称略)、俳句(仲寒蝉、堺谷真人、横井理恵)、短歌(松岡秀明、佐藤弓生、山田航)、現代詩(森川雅美、岡田ユアン、カニエ・ナハ)の三詩形・計十名による連詩プロジェクトが現在進行中です!

「詩客」HP内「私の好きな詩人」コーナーにエッセイ「猫と初恋(私の好きな詩人-吉行理恵)」を寄稿しました。

・ヴァーバル・アート・ユニットTOLTAの新作『トルタのマンガ』に、「素材班」としてちょっぴり参加しました。絵のないマンガ・読みきり15本!という前代未聞の「マンガ本」です。詳しくはトルタさんのHPをご覧くださいませ。

「現代詩手帖」12月号「現代詩年鑑2012・アンケート今年の収穫」に回答しました。

・「現代詩手帖」9月号に伊藤比呂美さんの詩を媒介にしたエッセイ「猫と冥福」を寄稿しました。

・現代詩手帖特集版『大野一雄 詩魂、空に舞う。』に、大野一雄さんのことばを媒介にしたエッセイ「散花/食花」が掲載されています(「現代詩手帖」2010年9月号に掲載されたものの再掲です)。
# by neko-tree | 2012-08-29 03:22 | Trackback | Comments(0)
ぺんぺん草とびんぼう草
暗い畦を行き
掘り込まれた丘陵にのびる草の背が
ちりぢりと焦げてゆく土のうえ
「ちいさなうさぎだったんです」

茶色い毛並みがうつくしくて なまえをよんだ 野生 だったのだと思います ふりむいて すこし距離をおいて こちらを見ました 黒い目でした 何か言って欲しかったけど あんまりさわぐと消えそうで その、草をさしだしました ぺんぺん草でした だってハートだったから…、心臓をみてほしかったんです いまおもえばばかなことをしたものです ぺんぺん、べんべん、ばちあたりです せめてあれが繁縷(はこべ)だったら やわらかな髑髏みたいに いまごろ組み合わさっていられたのかもしれません

ふたつの穴から臍の緒がでてくる なずな、薺(なずな)、ぺんぺん、なずな

三味線を弾く音がする
住宅地をあるき
細く伸びた路地を縫う
靴音は追いつかない
うさぎ
てんてんと ちいさな足で
駆けていった
氷がとけて水滴が
てんてんと
すけてゆく心臓
(夏野雨さん「みどりのゆき」より抜粋(「水玉通信 vol.4」より)


  *

びんぼう草と呼ばれているけれど、ほんとの名前はハルジオンとヒメジョオンで、漢字で書くと春紫苑と姫女苑だから、むらさきがかっているほうがハルジオンと覚えていて(それで、あっているんだろうか?)、ほんとのほんとは、一輪いちりんべつの名前をもっているのだとおもう。花やさんで売られているような花もすきだけど、そのへんの野原とかに群生している雑草によりひかれるのは、わたしも雑草なのだおもう。
# by neko-tree | 2012-05-16 19:52 | Trackback | Comments(0)
猫とパラレル
 夕焼けに飛行ねこが飛んでゆく
 夕焼けに飛行ねこはあうのだそうだ
 赤く熟れたトマトとクリームチーズくらいに
 飛行ねこは大きな群れをつくり
 それはまるでひとつの地平線を形成しているようにみえる
 全体はゆっくりと西の方向へ動いている
 群れ、また群れ
 大空を一面に覆ってしまう程の
 一匹一匹が空中で四肢を動かす様子は
 まるでそこに巨大な空中回廊でも存在しているかのよう
 まるで永遠のそれは
 (宮岡絵美さん「平行世界、飛行ねこの沈黙」冒頭部分(詩集『鳥の意思、それは静かに』(港の人)


  *

たましいが九つもあって、あっちとこっちを行ったり来たりしているという、猫には夕暮れがよく似合うし、じっさい猫にあうのは夕暮れがおおい気がする。たそがれ(この猫はだれ?)。ユリイカの新人作品欄で活躍されている、宮岡絵美さんの「夕暮」という詩を以前このブログでとりあげたけれど、その「夕暮」からはじまる、彼女の第一詩集『鳥の意思、それは静かに』を拝読して、夕暮を描いた詩がいくつもあることに気づく(それから、たましいをはこぶといわれる、表題にもでてくる、「鳥」のでてくる詩)。夕暮は、生と死とが交錯する場所と時間で、いつしかその一部分になりながら、ものおもいに耽っていた昔をおもいだす。そのなかで、かつて、たしかにわたしもまた「飛行ねこ」を見ていた、ような気がする。ところでさっきから「ひみつのそしきがきて はちじのニュースがたいへん」という歌があたまの中で流れている。相対性理論の「ミス・パラレルワールド」である。
# by neko-tree | 2012-05-16 07:14 | Trackback | Comments(0)
ドアノーエミリーアデルユゴー
 肌色の木枠 額縁の裏に
 夜があって ふくろうが啼いている
 金釦のような眼で
 古い森から辺りを見回している

 あの手紙を書いたときの
 青インクが霧となって満ちている空に
 まどろみかけた思い出のひとつひとつは
 散らばっていく
 (颯木あやこさん「写真」より抜粋(詩集『うす青い器は傾く』(思潮社)より


  *

ことし生誕100年をむかえた、20世紀を代表する写真家のひとりロベール・ドアノーが、擦過していく風景と時間とをたばねた「水の流れ」を、夜のあいだも流れつづけるその流れを、自分は止めたいなどとばかげたことをかんがえているのだ、というようなことを言っていたけれど、一枚の写真を静止した水として、それをささえる額縁の裏の森もまた、静止した夜の森だろうか。今月15日が命日の、エミリー・ディキンソンはずいぶん宛てのない手紙を書いたみたいだけれど、宛てのない手紙を書くことをちっともしなくなってしまったわたしはだめだなあ。トリュフォーの映画「アデルの恋の物語」はヴィクトル・ユゴーの娘アデルの実話をもとにした映画だったけど、アデルが手紙を書いているシーンがこれでもかというくらい連なる、あれは手紙映画だったとおもう、さすがユゴーの娘だったとおもう。
# by neko-tree | 2012-05-14 20:52 | Trackback | Comments(0)
カレーとジャスミン
 並んだ小窓の列の一つから
 こぼれるのは 生活の灯り
 ナイター中継開始の サイレン
 幼な子の泣き声 母親の歌声
 蛇口から流れる水の音
 まな板を打つ包丁のリズム音
 そしてカレーの あの優しい匂い……

 もう本当に何にも要らないから
 こうして時の流れを止めたまま
 生活の断片達のレトリックに 溺れていたい
 (伊達風人さん「カレーライス」より抜粋(詩集『風の詩音』(思潮社刊)


  *

夜になるとどこからかジャスミンの香りが漂ってきてでもそれがどこからなのかわからない。視界がせばまることでよりつよく感受できるものがある。夕暮れのまちを歩いていると、夕餉のにおいや練習曲を弾くつまずきつつの幼い歩行のようなピアノの音がきこえる。たどりついた、部屋からの夜景がとてもきれいで、もうまもなくこの部屋にも灯りがともる。このまちの「生活の灯り」のひとつになる。夕飯のしたくをする。
# by neko-tree | 2012-05-14 20:35 | Trackback | Comments(0)
篝火と御舟
いつでも海はつながって、わたしたちを巡っていた。管絃船の篝火に捕われ、わたしの蛾はぐるぐる回る。蛾のわたしは飛び込んで燃える。

火がおどり
かさなる闇やぶれ
火がおどり
暗い海がすべり
火がおどり
ふねが行き
火がおどり
ふね帰り
いきものの上のかがり火
大きく小さく
火がおどり
ゆれゆらぐがの
火がおどり
かがり火のまい
火がおどる
めまい
(広瀬弓さん「蛾の眩暈」より抜粋(「ゆんで」4号より))


  *

投稿欄のときにご一緒して、同級生のように感じている広瀬弓さんと、弓田弓子さんという方のお二人が出されている二人詩誌「ゆんで」を、とても簡素なつくりのミニマムさが素敵な詩誌で愛読しています。お二人の詩が二編ずつの計四編と、みじかいあとがきのみ。これくらいの分量だとかえってくりかえしよめてうれしい。四編どれもよかったのだけど、冒頭の広瀬弓さん「蛾の眩暈」は、エッセイのようでも掌編小説のようでもありながら、まぎれもなく詩であるとおもう、そのゆらぎもふくめて、心ひかれる。宮島の大鳥居にて毎年夏におこなわれる管絃祭(平清盛にもゆかりがあるらしい)について描かれた作品で、その祭りのさなか、あまたの観客やカメラマンのなかから「灰色のワンピースがしゃしゃり出て」、管絃船の脇でなにかを祈りはじめる。カメラマンが下がるようにうながすと、「し、つ、れ、い、な/うみでおおぜいがなくなっとるんよ」と金切り声をあげる。書き手の「わたし」は「自分勝手は女もカメラマンも同じだと思う一方、言葉は深い場所を突いた。」としるし、「足首に触れたやさしい瀬戸の海は金属の平らな路のように凍りつき、津波の海へと続いていた。」そして、冒頭に引用した部分につづくのだけど、そこで書き手で傍観者であったはずの「わたし」がとつぜん篝火に捕われた「蛾」に入れ替わって、驚く。それと同時に、散文的だったこの作品が行わけの詩にかわる。「篝火」「蛾」は、「かがり火」「が」と、ひらがなに開かれて、この行わけぶぶんの「が」の音のこれでもかというつらなりが、火と蛾との不穏で妖しくもうつくしい踊りをみごとな詩のリズムで体言しているとおもう(おしまいのほうの「まい」「めまい」の音のひびきあいも、いい)。速水御舟の絵なんかもおもいだしました。
# by neko-tree | 2012-03-19 19:19 | Trackback | Comments(0)
水とうつろ
 歩きまわっているうちに
 六百年が茫々と過ぎていった
 そのおよそ半分のあいだ
 あらゆる手によって殺されることに慣れ
 のこり半分のあいだは 巡礼の旅だった
 わたしはわたしを失ったことを
 まだじゅうぶんに知らなかった

 それから二千年が過ぎて
 わたしはようやく復元され
 愛らしい名でよばれるようになった
 わたしはわたしに溶けあってゆき
 涙みたいにぽろぽろこぼれおちた
 土の中にすいこまれる
 それだけのために
 首から爪先にかけて
 ひとしずくになって傾いでゆくことを
 覚えたのも このころだった
 (タケイ・リエさん「海雨山土」より抜粋(詩集『まひるにおよぐふたつの背骨』より))


  *

眠れないこともつらいけれど、もっとつらいのは書けないことで、もうどこへもいけないような気がする。そんなとき「六百年」とか「二千年」といったはるかな時間の記述に救われるおもいがします。殺されるがわでいられたらいくらかましだろうとおもうし、いつかは「愛らしい名でよばれ」たい。こどもみたいに泣けたらどんなに楽だろうとおもうけれど、おとなだし(すくなくとも年齢的には・・・、)とりたてて泣く理由がないので、水分をもてあます。からだの大部分が水でできていることがわずらわしい。大地によこたわる、イケムラレイコさんの絵画や彫刻の少女たちのことをおもいだしました。彼女たちは「土の中にすいこまれる」そのすべを身体全体で思案しているのかもしれないし、会うこともなく土へと帰った、もうひとりのじぶんらの声に耳をすませているのかもしれません。
# by neko-tree | 2012-03-18 18:18 | Trackback | Comments(0)
町とススキ
 最初、世界に
 二七二六の重さで寝ころんだそう
 母親がいやに詳しく覚えててね
 ありがとうねほんと
 辛抱してくれて叩きたいってときも
 あったでしょいろいろあるもんそりゃそうよ
 おそらく母親が先にこの
 船をリタイヤするだろうから
 見越してね
 せりふを練習するわけ 心づもりとか
 なんだかんだあれしてね
 (宿久理花子さん「暦と数字のあいだを」より(「ユリイカ」2012年1月号))


  *

もうずいぶんたってしまったけれど、今年もキネマ旬報ベスト10が発表になって、日本映画では新藤兼人監督のさいごの作品「一枚のハガキ」、原田芳雄さんの遺作となってしまった「大鹿村騒動記」、今すごいいきおいの園子温監督「冷たい熱帯魚」がベスト3。園監督は若いときに「ユリイカ」「現代詩手帖」の投稿欄で活躍されたそうで、詩がねっこにあれば、どこへいってもおもしろいことができうるかもしれないという希望のひかり。最新作の「ヒミズ」も(まだ見てないけど)とても話題になっていますね。

で、4位が意外だったのだけど、「まほろ駅前多田便利軒」で、主演の瑛太さんと松田龍平さんのコンビも絵的にも最高にすてきだったんだけど、「まほろ」こと「町田」の、ロケ撮影がまたとってもよくて(わたしは地元がちかくて、おさないころから通ったなじみの街だから、なおさらね)、おなじくキネ旬10位の「探偵はBARにいる」の札幌・すすきのにも通じるところがあるとおもうのだけど(以前、札幌で食べたスープカレー、おいしかったな。となりの席では、学生さんが柳宗悦の民芸について語りあっていた)、「微妙に(な)都会」の、あのなんともいえない感じが、いいんだなー、いいんです。

冒頭にあげた宿久理花子さん、今年の「ユリイカの新人」に選ばれた方で(おめでとうございます)、「暦と数字のあいだ」をたゆたうこの作品、現代美術のさわひらきさんの映像作品なんかおもいだしたりしたのだけど、映像もいいし、「あったでしょいろいろあるもんそりゃそうよ」とか「なんだかんだあれしてね」とか、こういう口調・リズムの妙。

映画「まほろ・・・」の、松田龍平さん演じる主人公のひとりは、とってもひょうひょうとしていてつかみどろこがなくて、へんなしゃべり方なんだけど(ついでにいうと、わをかけてへんな走り方)、映画がすすむにつれて、じつはとっても傷ついていることとか、わかって、それでこういうひょうひょうとした口調や生き方(そして走り方・・・たぶん)になったんだなーってわかって、あんなともだちと、ほんとは語り合いたいことをやまほどかかえながら、でもいまは語らずに、タバコの煙だけぷかぷかふかしてたい(吸えないけれど)、とおもった。くるりの主題歌がまた、流れ出すタイミングもふくめて、死ぬほどよくて、その「キャメル」のあのギターアルペジオのイントロを聴くたびに、あのふたりをおもいだして、ちょっぴり泣きそうになります。
# by neko-tree | 2012-02-22 22:22 | Trackback | Comments(0)
冬と血管
  まぶたをはがしていくの
  途中で切れないように 顔ぜんたい
  それから首…肩…胸の谷間…… あ
  切れちゃった
  でもまあこんなかんじで
  皮はがしてくのね 全身
  そしたらそのあとが脂肪
  脂肪 これやなんだなあ べとべと
  手がすべっちゃって
  いらつくんだけどこうやってこんなかんじで
  むしって したら
  筋肉とか血管とかあるよね みえる?
  こういうのもつまんで
  ひっぱって
  びぃって
  あ あたしこの感じすき
  血管 網んなったまま肉から
  びぃってはがれるときの
  この ぴりぴりってする感じすき
  で やっと骨
  ちょっとみえてきたかなって
  鎖骨とか肋骨とか大腿骨とか
  まんなかへん これ内臓ね
  ここめくるとあふれだしちゃうから
  とりあえずこんなかんじで おいといて
  うん
  こんなとこかな どう?
  うん でさ
  あんたにききたいんだけど

  ねえ まだすき?
  まだあたしのことすき?
  だきたいっておもう?
  (岩尾忍さん「strip for you」より(岩尾忍個人誌「鋏と紐 Strings & Scissors vol2」収録))


   *

松井冬子さんの、待望の美術館での初の大規模な個展が開催されていて、これまでいくつか見てきた作品たちの点が線となり面となって迫ってくる。彼女の代表作「浄相の持続」(裸体で地面に横たわる、内臓むきだしの女性ががこちらを見てアルカイックスマイルを浮かべている…)にはじまる、現代の九つの自殺を描いたという「九相詩絵巻」シリーズの新作三点が個人的には今回のツボだったのだけど、「浄相の持続」のバリエーションともいえる新作「應声は体を去らない」は、おなじ内臓むきだしでよこたわる女性に、一見雪のように見える、無数のうじがわいている、それは精子の暗喩のようにも見え、凄惨なタナトスのエロスだ。同シリーズの新作の一つ「四肢の統一」という、四肢のない骸骨がよこたわっている作品も、骸骨のすがたをした一匹の精子みたいに見えなくもない(空には月が次の母のようにそれを見つめている出口)。

ところで松井冬子さんの絵がそのモチーフのディープさにもかかわらず、ちっともグロテスクに見えないのは彼女のエレガンスのためとおもうし、冒頭にあげた岩尾忍さんの詩も悪趣味にまったくおちいっていないのは、ここで描かれている感情の切実さはもとより、オブラートのようにして作品を包んでいる、飄々としたユーモアのセンスのためとおもう。「血管 網んなったまま肉から/びぃってはがれるときの/この ぴりぴりってする感じすき」のところなんて、読むたびおもわずくすりと笑ってしまうし、なんか、おもわずちょっとやってみたくなっちゃいませんか?…わたしはやってみたくなってしまって、困った。まさか、ご本人だって実際にはやったことないとおもうけども。
# by neko-tree | 2012-02-20 20:20 | Trackback | Comments(0)
嘆きと草原
  往来……
  むこうで怒りを食んでいた牛が、腹をすかすかに透き通らせて、区界の枯れ野を駆けてい
  った。ひるはあお向けに浮いては流れ、ようやくわたしは何も聞こえなかったことを知る。
  そのときに。幼少期に隠れて、もうほとんど見えなくなりながら、こっちを見ていた横顔
  がまだ淡く溜まっている気がする、あの遠く、
  遠くきらっとひかる林の梢には、やさしい鬼の牙がずっとかかっていたのだとおもう。
  消化器系の永遠まで、ながく、あるいて――
  (暁方ミセイさん「薄明とケープ」(「現代詩手帖」2012年1月号掲載)冒頭部分)


   *

現代の映画監督の中で私がもっとも敬愛している、ギリシアのテオ・アンゲロプロス監督の突然の訃報。新作の撮影中に、道路を横断しようとしてバイクにはねられて…とのこと。冥福を祈る、というきもちにどうしたらなれるだろう。どんなに無念だっただろう、そのことをおもうと胸を塞がれる、というのを通りこして、呼吸が希薄になってくる。そしてそれは、どの一本でもいい、彼の映画を見終わったときの「あの感じ」と似ても似つかないものだ。

冒頭にあげた暁方さんの詩を読んで何故かおもいだしていた。「エレニの旅」の中の、じきに洪水に沈む村に予兆のようにして、巨木なすかすかの梢にぶらさがっていた、十数頭の羊たちの亡き骸。
# by neko-tree | 2012-02-01 02:01 | Trackback | Comments(0)
引用と交換
一月三十一日。大江健三郎さんのお誕生日。むかし大江さんの小説ばかり読んでいた。かんがえたら、私の引用癖のもとをただすと大江文学への傾倒があったかもしれない。悪文を嗜好することも。どれか一冊といわれたら、『取り替え子(チェンジリング)』。クリント・イーストウッド監督の『チェンジリング』も、現代美術家のフィオナ・タンの映像インスタレーション『チェンジリング』も、みんなそれぞれ素晴らしい作品で、私たちは誰もが、私たちの意識が立ち上がる前に、立ち上がる前の誰かと交換された、「取り替え子」なのだとおもう。
# by neko-tree | 2012-01-31 07:31 | Trackback | Comments(0)
ジャージと接吻
一月三十日。俳優のジーン・ハックマンさんのお誕生日。クリント・イーストウッド監督の映画「許されざる者」なんかのイメージが強くて、ジーン・ハックマンっていうとすなわち「ザ・悪役!」みたいなイメージになってる気がするけど、「天才」ウェス・アンダーソン監督の傑作「ザ・ロイヤルテネンバウムス」のいたずら好きのおじいちゃん役とか、とってもチャーミングだったな。あの家族そろいもそろって、いったいどうして、いつもアディダスの赤ジャージを着ているんだっけ?それから、ウディ・アレン監督の映画「私の中のもう一人の私」では、なんと!何年も秘めた片想いをしている中年の小説家を演じておられて、それがなんともいえず、いいんだ。五十台の恋。突然の雨の公園。陸橋の下の口づけ。
# by neko-tree | 2012-01-30 06:30 | Trackback | Comments(0)
アンナの赤と乳白色の肌の色
一月二十九日。画家のバーネット・ニューマンさんのお誕生日。千葉県は佐倉にある、川村記念美術館にはマーク・ロスコの絵画のための「ロスコ・ルーム」(まるで、かんおけのような・・・)ともうひとつ、バーネット・ニューマンの「ニューマンズ・ルーム」があって、「アンナの光」という作品が常設展示されているのだけど、巨大な矩形の画面いちめん、ほとんど真っ赤なのだが、よく見ると隅にわずかに白がある。そして建物の二階にある半円形のニューマンズ・ルームの、「アンナの光」をはさんだ両側は大きな窓になっていて、窓のそとの緑がまぶしい、「アンナの光」の赤と響きあっているようだ。日々季節はめぐり、時刻はとどまることなく、おなじ光は二度と来ないので、あの部屋に私たちは入るたびに、なんどでも真新しい、「アンナの光」と出逢うことができる。ところで今日は、レオナール・フジタさんのご命日でもある。フジタの代名詞でもある例の乳白色の肌の色。あのうつくしさを実物の絵で見たときの息をのむような感じ。あたらしい絵を創造することは、あたらしい色を創造することからはじまったんだ。
# by neko-tree | 2012-01-29 05:29 | Trackback | Comments(0)
偏読と多読
一月二十八日。ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』がイギリスで発刊された日とのこと。『高慢と偏見』、Pride and Prejudiceといえば、浪人生のときに数ヶ月かけて、この本をペーパーバックで読んだ。私の高校のときの英語の成績は(ほかのすべての教科と同様)さんたんたるもので、10段階評価でつねに3とか4だったとおもうけれど、本を読むのは大好きだったから、オースティンも日本語でいちど岩波の赤レーベルの『高慢と偏見』『分別と多感』『説得』なんかは読んでいて、英語も文法なんかはよくわからないけれど、「とにかく読めりゃいいじゃん」っておもったから、とにかく辞書をひきまくりながら、ごりごりと読みとおした。それが私の英語の受験勉強のほとんどすべてだったけれど、けっこうそれで志望校は受かったから、そんなに的はずれでもなかったのではないか、とおもわなくはない。今でも年に一冊くらい英語の小説を読むけれど、わからない単語があると英英辞典をひいて、わからない単語の記事のなかにわからない単語があるとさらにその単語を英英辞典でひいて、わからない単語の記事のなかのわからない単語の記事のなかにさらにわからない単語があるとさらに英英辞典で・・・とどこまでも異国語の路地の奥へ奥へとさまよっていく感じ、きらいじゃない。
# by neko-tree | 2012-01-28 04:04 | Trackback | Comments(0)
天才と幼虫
一月二十七日。モーツァルトのお誕生日。創造のあらゆる領域で、ひとはそのつどモーツァルト・タイプとサリエリ・タイプに分類されうるとおもうけれど、その領域にじぶんが心血をそそいでいるもので、あなたがサリエリだったとき、ちかくにいるモーツァルトへの愛憎をまのあたりに、ひとたびあなたがしたならば、あなたにとってミロス・フォアマンの映画「アマデウス」は(それが史実に忠実であるかどうかなどもはや問題ではなく)、圧倒的なリアリティを突きつけられて、それは特別な映画にきっとなるとおもう、わたしとおなじように。ところでミロス・フォアマンの近作で、ハビエル・バルデム主演のゴヤ映画、まだ見ていないのだけど、見たいな。こないだ橘上が、唐突に「トンボの幼虫ってなんていったっけ?」と聞いてきて、思い出せないので「えーと…、ちょっと待って」といってスマフォで調べて、「そうだ、ヤゴだ」というと、「それだ。今日、ゴヤの絵を見てきた」と、橘上は言った。
# by neko-tree | 2012-01-27 03:03 | Trackback | Comments(0)
撞球と呼吸
一月二十六日。俳優のポール・ニューマンさんのお誕生日。高校生のときに、VHSで見た「ハスラー」がかっこよすぎて一時期ビリヤードにはまって、午後の授業をさぼって街のビリヤードやさんに入り浸ったりしたっけ。「ハスラー」は主人公のポール・ニューマンもかっこいいし、そもそもビリヤードっていう競技がビジュアル的にかっこいい。そしてそれ以上にかっこいいのが敵役の恰幅のいいハスラーなんだけど(俳優さんの名前はわからない)、二人のビリヤード決戦は夜を徹しての長時間にわたり、空気はよどみ、二人とも憔悴しきってミスが多くなっている。そのときふと、敵役の恰幅のいいハスラーが「ちょいと、休憩をとらせてもらうよ」とかなんとかいって、会場から姿を消して、化粧室に入る。そして洗面台の前でゆっくりと、ていねいに顔をあらう、自分の顔を凝っと見つめる。そして会場にもどると、彼は長い睡りからいま覚醒したばかりのように、冴え冴えとして、打つ球はべつの球をはじき、あざやかに四隅の穴へと落ちていく。
# by neko-tree | 2012-01-26 02:02 | Trackback | Comments(0)
雪とミシン
一月二十五日。詩人の北原白秋さんのお誕生日。先日神保町を歩いていたら古本屋さんの店先で、白秋の『東京景物詩 及其他』を見つけた。たしか、五百円。フランス装のまだ開かれていない本で(つまり、自分でペーパーナイフで本を完成させる楽しみと緊張とがのこされているわけだ)、箱入だったり、中身の天が金箔で塗られていたりと、装丁がやたら豪華でスタイリッシュ。むかしの本は、あるいはむかしは「本」というものが、一冊いっさつ、いまよりももっと宝物であったし、だからこそ、宝物にふさわしい豪華な装丁がこころみ、あるいはこころがけられていたのかもしれない。『東京景物詩 及其他』のなかから、アトランダムに一篇。

   解雪

 わが憂愁溶けつつあり、
 黄色く赤くみどりに、
 屋根の雪は溶けつつあり、
 光りつつ、つぶやきつつ、滴りつつ………

 日はすでにまぶしく、
 菓子屋の煙突よりは烟のぼり、
 病犬は跛曳きつつ舗石をゆく、
 そのなかに溶けつつあるものの小歌(リイド)。

 やはらかにかよわく、ほそく、
 そは裁縫機械(ミシン)のごとく幽かに、
 いそがしく、
 さまざまの光を放ちつつ滴る。

 喪心のたのしさを聴け
 薄暗き地下室(セラ)の厨女よ、
 湯沸(サモワル)の湯気の呼吸(いき)も
 玉葱のほとりにしづごころなし。

 (以下略)

裁縫機械と書いてミシンとルビをふってあるところなどが、よい。
アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)には「融雪」という曲があるけれど、これもよいです。雪を春がたかい速度でかきわけていくような印象の、ソリッドなリフがかっこいい。じきに、春。
# by neko-tree | 2012-01-25 01:25 | Trackback | Comments(0)
月とギター
一月二十三日。ギタリストのジャンゴ・ラインハルトさんのお誕生日。ウディ・アレンの映画「ギター弾きの恋」の主人公のギター弾きは、自分のことを「世界で二番目に上手いギタリスト」と自称しているのだけど、天才である自分でも決してかなわないナンバーワンが、ジャンゴ・ラインハルト。ジャンゴは火傷かなんかで左手の薬指と小指だったかが不自由だったのだけど、にもかかわらず、それゆえ、独自の奏法をあみだして、あのテクニカルかつこのうえなく美しいプレイを聴かせてくれた。ところで映画「ギター弾きの恋」では主人公のギタリストを、ショーン・ペンがコミカルかつ切なく演じていて素敵です。ウディとはウマがあわなかったのか(あいそうにないよね)、ショーン・ペンはその後ウディの映画に出演していないけれど、あの映画、彼がアカデミー賞主演男優賞をとった二作「ミスティック・リバー」「ミルク」と並んで、あるいはそれ以上の、ショーン・ペンのベストアクトの一つだとおもいます。
# by neko-tree | 2012-01-23 23:23 | Trackback | Comments(0)
葦とユメ
一月二十二日。俳優のヒース・レジャーさんのご命日。「ブロークバック・マウンテン」や「ダークナイト」の素晴らしい演技で、これからもっとも期待される俳優さんの一人だったのに、まだ28歳の若さだったのに、ほんとうに残念でしかたないです。けれども、映画のいいところは、そのなかで、彼も時間も、ほとんど永遠のように閉じ込められていて、劇場で、あるいは家のテレビでだって、再生すれば生きている彼に、しかも、もっとも生きている彼に、変わらずに、なんどでも会えること。
# by neko-tree | 2012-01-22 22:22 | Trackback | Comments(0)
春と泣きボクロ
一月二十一日。俳人の杉田久女さんのご命日。「春蘭や雨をふくみて薄みどり」。
# by neko-tree | 2012-01-21 21:21 | Trackback | Comments(0)
ベストヒット誕生日!
一月二十日。すごい!尾崎放哉さん、西脇順三郎さん、フェデリコ・フェリーニさん、デビッド・リンチさん、松井冬子さんのお誕生日。もし自分の誕生日を選べるならばこの日にあやかりたい。放哉の句で私がいちばん好きなのは「すばらしい乳房だ蚊が居る」。西脇順三郎にはじつはとても影響を受けていて、たとえば「ユリイカ」2010年1月号の「明・民・泯・眠・明」とか「骨おりダンスっ」創刊号の「Spring Snowdome」(吉田恭大さんとのコラボレーション)とか、ひそかにあえかに西脇オマージュ。フェリーニといえば、「ユリイカ」最新号(2012年2月号)に掲載の「エレファント」は、ピナ・バウシュの出てくるフェリーニの映画をモチーフにしています。そういえばもうすぐヴィム・ヴェンダース監督によるピナ・バウシュの3-D映画が公開されるんだよね。楽しみすぎる。こないだヴェンダース監督によるSANAA建築の3-D短篇映画を見たけれど、このひとは3-Dの使い方をわかっておられるなあ。デビッド・リンチの映画は鼻血が出るほど好き。最近は音楽活動にちからを入れてるみたいだけど、映画の新作はやく見たいなあ。まえに美術手帖の特集にのっていたけれど、彼の絵画や写真もいいんだよね。ディストーションのかかった写真とか。映画のいまのところの最新作「インランド・エンパイア」。あれほどデジタル撮影のあらさや不穏さをメリットにした映像にはまだお目にかかっていないな。で、美術手帖といえば、今月のBTは特集松井冬子さん!なんかついこないだもおなじBTで特集だったとおもったけれど、2008年1月号だった。おなじ作家が3年で2回も特集されるのはまれなことですね。さらに、2009年の1月号では彼女の男装している写真が表紙になっている。「人生を変えた13冊」も載っていて、さすが、なラインナップ。私がはじめて松井冬子さんの作品をナマで見たのは2006年秋、佐藤美術館「第15回奨学生美術展」。「たちどころに破られた異物」という一点。何ゆえかわからないけど変異をおこし異形のものとなった菊をモチーフにしていて、恐ろしいまでの妖気を作品から発していた。
# by neko-tree | 2012-01-20 20:20 | Trackback | Comments(0)
春と恋
一月十九日。ユーミンのお誕生日。駅までの道。つぼみのこれからふくらんでいく沈丁花を見つけて、いっしょに「春よ、来い」を口ずんでいた。
# by neko-tree | 2012-01-19 19:19 | Trackback | Comments(0)
歯医者とブラームス
一月十八日。北野武さんのお誕生日。このブログでも何度か書いているけれど、私は北野監督の映画の大ファンで、いま生きている日本の映画監督のなかでたぶん、いちばん好きです。今のところの最新作「アウトレイジ」はしばらく封印していたバイオレンス復帰作で、でも以前の定番キャストから一新、北村総一朗さん三浦友和さん椎名桔平さん小日向文世さん加瀬亮さんなどなど、みなさまそれはそれは楽しそうに悪人を演じておられる。「登場人物、全員悪人」みたいなのをウリにしていたけれど、そのとおり、話題になった映画「悪人」なんて、いったいどこが悪人なんだかわかりゃしなくてわたしには物足りなかったけれど、「アウトレイジ」に出てくるのは本当にどうしようもなく救いようのない悪人ばかりで、むしろ清々しい。以前、北野監督どこかで「暴力と笑いは紙一重」みたいなことを言っていたけれど、残酷すぎておもわず笑ってしまうシーンも多数。とりわけ、あの歯医者さんでの拷問シーン。私は二度と歯医者さんにはいけない。
# by neko-tree | 2012-01-18 18:18 | Trackback | Comments(0)
ダムとダマー
一月十七日。俳優のジム・キャリーさんのお誕生日。「トゥルーマン・ショー」のあたりからシリアス路線も演じるようになったけれど、初期の、狂気としかいいようのないコメディの怪演技が病気はなっちゃいそうなくらい好きです。出世作の「マスク」はもとより(キャメロン・ディアスの出世作でもありますね)、「ケーブルガイ」「ライアー ライアー」そしてなんといっても「ジム・キャリーはMr.ダマー」!原題は「Dumb & Dumber」。わたしなんかもどうせDumbなのだからいっそのことDumberになりたいとおもう(いや、むしろThe Dumbest)。橘上の朗読を見たとき、その初期のDumberなジム・キャリーをおもいだして、本人にもたしかそう伝えたとおもうのだけど、それって最高の誉めことばです。
# by neko-tree | 2012-01-17 17:17 | Trackback | Comments(0)
クリスティーナとヘルガ
一月十六日。画家のアンドリュー・ワイエスさんのご命日。ワイエスについてはもう何度も書いているけれど、好きという以上に、私にとって大切な画家。十年前に、あるとても個人的な物語をともなって、「クリスティーナの世界」をとおしてワイエスに出会って、画集をめくりながらふるえていたのだった。涙すら流した。それから、ワイエスの絵を媒介にした小説を書きたいとおもってきたのだけど、そのこころみは十年もの歳月を経て、詩へとかたちを変えて、やっとすこしずつかたちになりはじめた。以前「六本木詩人会」HPに寄稿した「Lycoris,Chieko,Helga,M.」「クリスティーナの風、リコリスの歌」がそれである。
# by neko-tree | 2012-01-16 16:16 | Trackback | Comments(0)
イヴと鉱物
一月十五日。シュルレアリスムの主要な画家のひとり、イヴ・タンギーの命日。イヴ・タンギーはダリとかマグリッドみたいに明快な「シュール!」ではないけれど、まるでほかの惑星に誰もいないような遙かさと静けさだ。それはふしぎに懐かしい。「岩の窓のある宮殿」「眠りの速度」「水脈占い師」とか、タイトルも秀逸。見たことないかたは、「イヴ・タンギー 画像」で検索すると出てくるので、見てみてください。
# by neko-tree | 2012-01-15 15:15 | Trackback | Comments(0)
きのことタンゴ
一月十四日。スティーブン・ソダーバーグ監督のお誕生日。そういえば彼が史上最年少でパルムドールをとった「セックスと嘘とビデオテープ」って見てないのだけど、このタイトルを耳にするたびに条件反射的に「部屋とYシャツと私」が思い浮かぶ。ソダーバーグ監督のWikipediaの記事を見ていたら、「子供の頃に見た映画『マタンゴ』に酷いショックを受け、キノコ嫌いになる。」と書かれていて、『マタンゴ』が気になる。日本の特撮ホラー映画とのことで、キノコはただですら怖いのに、キノコを題材にしたホラー映画などおそろしくて見られたものじゃない。ソダーバーグ監督の映画では「トラフィック」「アウト・オブ・サイト」「エリン・ブロコビッチ」が好きです。
# by neko-tree | 2012-01-14 14:14 | Trackback | Comments(0)
目覚めとねむり
一月十三日。ジェイムズ・ジョイスの命日。『フィネガンズ・ウェイク』は私の「枕元小説」のひとつ。数行よむと眠くなる。いつになったら読み終わるだろうか。左川ちかさんがジョイスの詩の翻訳をしているのだけど、どこかで読めるだろうか。
# by neko-tree | 2012-01-13 13:13 | Trackback | Comments(0)
回文と直線
一月十二日。村上春樹さんのお誕生日。私の中学生のときはまわりに読んでいるひとが誰もいなかったから読みやすかったのだけど、いまではすっかり読みづらくなってしまって、じつは『1Q84』も1部2部は読んだのだけど、3部はまだ読んでいない。そういえばこないだの芸術新潮の高峰秀子さん特集を読んでいたら、高峰さんのさいごに読んだ小説は『1Q84』だったと書かれていた。切ない。村上春樹さんの本で、いまの私がいいとおもうのは、まず回文集『またたび浴びたタマ』。大久保明子さんによる装丁も友沢ミミヨさんによる装画も楽しく、春樹さんの回文もそれに付された解説文も、このうえなくくだらなくて、素敵。それから超短編集『夜のくもざる』。これも安西水丸さんの装画の、ちからのぬけた楽しさ。装丁・装画といえばあと『神の子どもたちはみな踊る』。「新潮」連載時、連作「地震のあとで」と題されていたけど、こないだの地震のあとであらためて読んだひとも多いかもしれない(私もそうだった)。いまは文庫本のカバーが変わってしまったけれど、単行本ならびに以前の文庫版の表紙・装画に日本の戦中・戦後のシュルレアリズムを代表する画家の北脇昇さんの絵画が使用されていて、それがふしぎと作品の世界観と響きあっていて、かっこよい。

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それから、漫画家の井上雄彦さんのお誕生日。伊藤比呂美さんが井上さんのファンで『漫画がはじまる』という対談集まで出しておられる。ふだん漫画をあまり読まないわたしも、井上さんの「バガボンド」「リアル」はいままで出ているぶんは全巻読んでいる。「スラムダンク」だったら三井寿、「バガボンド」は佐々木小次郎、「リアル」は野宮朋美が、好きです。
# by neko-tree | 2012-01-12 12:12 | Trackback | Comments(0)
シースルーと緑光
一月十一日。女優の岡田茉莉子さんのお誕生日。「岡田茉莉子」という芸名はあの谷崎潤一郎が命名したらしい。代表作はやはりパートナーの吉田喜重監督による「秋津温泉」とかになるとおもうのだけど、(そういえば、前にもおなじようなことを書いたけれど、)小津の晩年の映画「秋日和」「秋刀魚の味」での助演、静謐な小津映画を最高にいい意味でかき乱す、元気で口達者な娘さんの演技が個人的には大好き。「秋日和」のほうだったとおもうけれど、紫色のシースルーのカーディガンかなんか着てて、それが小津映画に、その演技とともに、絶妙な異和の効果をあたえているんだよね。

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エリック・ロメール監督は今日がご命日。今日で2年になる。80年代の「喜劇と格言劇」シリーズ全6作はどれもだいたい90分くらいの小粋な会話劇シリーズで、みんな好きだけど、やはり「緑の光線」。海に太陽が沈む、それからひと呼吸おいた瞬間、ごく、ごくまれに、緑色の光線が水平線を迸るという。それを見ると幸福になれるという。映画のラスト、劇中の人物も、映画を見るひとたちも、そのスクリーンなり液晶画面なり、空間なり時間なりの垣根をこえて、ともに固唾をのんで、緑色の光線のおとずれを待つ。今日もきっと、どこかで待っている。
# by neko-tree | 2012-01-11 11:11 | Trackback | Comments(0)


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