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パウル・クレーのグレーの猫。(よかった詩さがしノート17・吉行理恵さん「温かい星」)

だいたいそちらのほうへ行くだろう、という方角に向かうバスに出鱈目に乗ったら、
20度くらい違う方角へ行ってしまって、強制的にそこで降りなければならない、
終着のバス停は「東大構内」だった。

東大構内を歩いていると、すこし優秀になったような錯覚におちいる。

いちばん近くの門をでたら、立原道造記念館の前だった。

丁度、鞄の中に吉行理恵さんの本がはいっていて、
立原道造を敬愛していた、理恵さんがつれてきてくれたようにおもう。

  *

 「温かい星」

『更級日記』の作者、菅原孝標(たかすえ)の女(むすめ)が十五歳のとき、愛らしい猫が現われ、文学好きの姉とともに隠れて飼っていた。姉は、猫が前年に亡くなった侍従の大納言の御むすめの生れ変りだと夢に見た。その猫は身分の低い者が使う北の部屋を嫌う。火事になった時、猫は焼死した。
 知人の猫も火事の時焼死した。猫は火に向かって行くと知人は言っていた。
 孝標の女は不思議な夢を見る人だった。予知めいた夢を見たことが記されている。
 私は旅に出ると、正夢を見る。目が覚めた時、砂埃の中を歩いて来たようなざらざらした感触なので、それと分る。知らない土地だと極度に緊張する。そのせいで正夢を見るのだろうか……。
 昭和五十二年に女優の姉に誘われて、スイスに行くことにした。私は体調をくずし、ホテルの部屋で眠っていることが多かった。立て続けに不思議な夢を見た。
 ボストンで事故死した知人(姉の親しい友だちの女優)が、「雲(私の猫)ちゃん元気?」と訊ねた。「大丈夫よ、すぐ帰るし」と私は答えた。「よかった」と微笑んだ。濃い緑の中を知人は白い服を着て、ふわふわと歩く。彼女のまわりに柔らかい清潔な光が揺れている。
 夢の中には誰もいない。夢の中に不思議な声が流れてきた。「低い空で温かく輝く星になる……」
 ベルンで少し■(からだ※PCで出ない表記)の具合が良くなったので、美術館に出掛け、クレーの絵をゆっくり眺めた。クレーは猫好きで、グレーの猫と暮していたそうだ。
 帰国した時、私のグレーの猫雲は元気に迎えてくれたが、急におかしくなり、手術の直後に死んでしまった。脾臓が悪くなっていたのだ。
「手術します。家で待機していて下さい」と獣医に言われ、私が帰ろうとすると、台の上に寝かされた雲は優しい目でじっと私を見ていた。その時、夢の中で聴いた声を思い出した。「低い空で温かく輝く星になる……」。雲の目のことだったのだ。
 死後も雲は夢の中に戻ってくる。先月も雲の夢を見た。私が雲に近付こうとすると、邪魔が入り、摑まえることが出来なかった。

  *

理恵さんの、これはエッセイとして書かれて、発表された文章だけれど、散文にもかかわらず、そこににじみでている「詩」が、詩として書かれたものよりもかえって「詩」を感じさせるようにおもうのは、私だけだろうか。

ところで、京都で開催されていたクレーの大きな展覧会が、東京にも巡回してきた。クレーの絵が近くに来るたびに、見にいく。何年か前の、千葉市美でのクレーの個展は、「東洋への夢」と題された、クレーの東洋への憧憬をめぐっての展覧会で、ユニークな切り口で新鮮だった。その展覧会の、テキストも大変充実したカタログを、買ったものの、まだ読まないでいたことを、いま、おもいだした。
by neko-tree | 2011-06-04 01:20


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